動画に関連して、数学科の話と数学研究の話

 先日(12月中旬)、イベントバーエデンに行ったときに、現在の店主であるところのいさおさんにお会いして、動画を撮ってもらった。
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 そこには全く別用で行っており、数学科を出ている旨をお話ししたところ、その場で即撮影(閉店後に)だったので、とりあえず思いついたことを散在的に話している動画になっている。あちらとしてはある程度やり方が決まっているのだろうけど、すぐにやってみることができる機動力は、それ単体で見習いたいものである。
 世間の皆さんがそこまで数学に興味がないのは知っているので、1000~3000再生くらいじゃないのという気持ちで話していたが、蓋を開けてみれば3万再生に届かん勢いになっており、ありがたいやら恥ずかしいやらといった心持ちである。数学に興味はなくても、数学科やそこを出た人には少し興味があるということなのかな。酒を飲んで曖昧になった人が話している動画がそんなに再生されているのはウケる。今回は、いろいろと曖昧になってしまった部分について、動画の内容を補足する。
 ――という内容で、ひとつ書きたかったのだけど、もたついている間に(たいして忙しくもないのにね)もう一度いさおさんに会い、動画を撮る流れになった。つくづく優秀な人間は行動力が桁違いだと思わされる。今回はその動画からも漏れた内容とか、とりあえず書きたいことを書くことにする。

 タイトルに修士と入っていて、経歴に偽りはないのだけど、動画の中ではほとんど学部の話をしている。優秀な人間はおいておくとして(年齢における優秀さの上限はないので、上の話をすればほぼ何でもあり)、ごく普通の数学科修士だと、修士論文が最初の論文というのが一般的ではないかと思う。これはもちろん分野にも大きく依る。
 最初のアウトプットが修士論文、すなわち飛び級などをしない場合、最短でも24歳が最初のアウトプットというのは、遅すぎるのではと思われるかもしれないけど、先端に至るまでの勉強が簡単ではないからと思っていただいてよいだろう。もちろん細々とした発表会の類を含めればもう少し前からアウトプットはあるということになるが。
 つまり修士といえど、そのほとんどの時間は研究ではなく勉強をしているということである。従って、コメントにも指摘があった通り、研究について語ることなどほとんどない。動画の中で研究の仕方について触れてるのは、「定理の輪郭が云々」といった部分だけだ。じゃあ、それより上の人たちがどういう感覚を持って研究に臨んでいるのかというと、そのことについて書かれている文章はあるが、端的に言うと「よくわからない」。万人にわかるような言語化ができるとは思えないし、数学者のある意味での”商品”であり、共有でき得ないからこそ、その数学者が研究する意味があるものだと考える。そもそもそれを共有する必要もなく、たとえ途中までは指導教官に倣い、同じように研究を行ったのだとしても、あなた自身が独立した研究者としてやっていくのであれば、感覚の部分では師匠とは別のものを感じ取らなくてはならないし、自然とそうなるはずである。また同じようなことをやっていたのでは、後発であるあなたが勝てる、つまり存在意義を示せるはずがない。もっともこのことは数学に限らず、学術一般に、もっといえば創作一般にも言えそうなことである。

 話は戻るが、勉強することはやはり研究において必要で、どんな天才でもこの過程を無視することはできない。もっとも天才は無視しているかの如くスピードで駆け抜け、かつ常人よりはるかに深い理解をしていくが、それでも多くの時間を勉強に割く。勉強、勉強、というが、修士で行うそれは「先行研究の理解」といってよいだろう。それを行う必要性は大きく二つあり、
・用語などを知り、人に話が伝わるようにする
・自分の論文は既知の結果ではないことを確かめる
である。特に後段は重要で、一生懸命考えた結果が、じつはほかの人の既に発表された結果だったり、酷いと真部分集合だったりする。また既に知られている結果とは、ほかの人が何百時間とかけて作った強力な武器であり、しかも全世界に行きわたる武器である。つまり、活用できないことはとんでもなく不利な戦いを強いられ、また先ほどのような車輪の再発明にも繋がる。そしてほかの結果と自分の結果との関係性を指摘することは、研究自体の価値が理解されるためにも必須だ。数学に限らず、現代の科学はかなり多岐に渡りかつ細分化されているので、価値ある研究で既存の結果との関連性が指摘できないということはあり得ないと思う。
 ここまでは学部までの勉強との目的の違いを述べたが、質的な違いも挙げておきたい。私の知る限り学部の科目に関する本は、どれも邦書ないし洋書の翻訳が複数冊出版されており、そのどれをめくっても同じような内容ないし数学的に同値な内容が書かれているといった状況だと思う。学習する内容が発見されたのは新しくとも1950年以前で、発見されてから実務に応用されて久しいものばかりで、教科書も競って教育的配慮がなされている。練習問題もついてる(ただし全てに正しい答えが付いているとは限らない)。仮に一冊で分からなくても、ほかの本を読んだらわかる場合もあれば、相談する相手も数学科に所属していればたくさんいるのが通常だ。
 一方、研究のための勉強というのは、先に挙げた性質をほぼ持たない。基本的には論文をもって勉強することになる。ある程度結果をまとめたものが本になっている場合もあるが(当然洋書)、それだけ最先端への道は遠いという意味でもある。また新たに定義された概念については、自分で成り立つ例や成り立たない例を考えて、概念に慣れ親しむ必要がある(これ自体も自らのcreativity を磨くために重要なことでもある)。言葉を変えて説明されているような文章もあまりなく、相談する相手もごくごく限られている。また論文自体が間違っていることもしばしばあり、わかった時には烈火のごとき怒りで身が震えそうになる。また、結果に至るまでにすごく遠回りをしたり、結果としての定理が不完全だったりする。例えば4つに分類されているが、実は整理すると3つにできたり、不要な仮定が含まれていたりする。要するに学部までの勉強と比べ、非効率的にならざるを得ない。また後世の人たちは、より効率的な勉強法で、洗練された結果を学ぶので、速く結果に結びつけなければ、あんまり意味のない時間を過ごしたことになる。

 修士に比べると、学部の頃の勉強は、”自分が賢くなったような感覚”を多分に与えてくれたように思う。知識の量という意味では間違いないし、数学科の学部卒を名乗る以上、どれもこれも知っておくべきことばかりなのだが、どれだけしょぼくてもいいから、早いうちから既存の集合知にプラスワンしようとする感覚を養っておくべきだったなと振り返る。それが可能なほど学部の数学を理解できているかというと怪しいのだが、アカデミアを目指すにしても、実社会で活躍するにしても、この類の喜びと苦しみを理解することは大切であり、価値であることは間違いない。

追記2019/3/9
2本目の動画

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事実とお気持ちで構成されたぶんしょう

 今日は無価値な日記を書く。
 今週末に実質的に退職した(有給消化期間に入った)。私としては火曜日に燃えるごみを捨てるくらいの感覚で辞めているのだけど、意外と皆さん気をかけてくださって、特段悪態をついていた訳でもないけど、少し恥ずかしい気持ちにはなった。また私としては最後まで、この会社の仲間で一員であるという感覚を得ることはできなかったのだけど、あちらとしてはそういう対応をしてくださり、何だかんだいい人たちだったなと振り返る。とはいっても、自分の判断やその根拠に誤りがあったという感覚はない。
 ただ、改めて今応募できそうな求人を見ると、今の会社の条件というのは、今の自分にとって極大値だったのかなとも思う。なまじストレスを排除した生活を構成してしまったため、それを維持することは簡単ではなくなってしまった。思い返せば、エンジニアという意味では有意義だったか微妙だが、ものづくりの現場を知るという意味では、それなりに価値ある体験はあった。お金もらって社会科見学をしたという感じである。実際、1年くらいで辞めちゃう人の多くはそういう感想を持つんじゃなかろうか(最初から実戦にバリバリ投入されるようなひとは違うかもしれないが)。


 一応、再び就労する気ではあるが、このまま何かしらの職についても、だいたい上が知れているなという気持ちにもなっている。別に年収を1000万円にしようとか思っているわけでもないし、あんまり必死こいてなにかやろうという気にならない。なんかゆったりやりたい。2015年くらいに無目的に過ごす期間を作ってしまったことがあるけど、本当に100億%時間を無駄にする羽目になるので必ず何かはやりたい。というかやるようにしたい…。でも今はほんとうに何もしたくない……。

 とりあえず、この1年くらいの間で急速に老化し、かつ太ったので、正常な状態に戻ることをまずは今後の目標としたい。

俺ら東京さ行ぐだ

 今日は早く起きたし、記事を書く。

 今の職場を選んだ理由の一つとして、オフィスが都心にないことがある。都心にオフィスがあると、近くに住むには金がかかるし、遠くから通勤すれば満員電車。大学院は田舎にあったから、これらの混雑とはあまり縁がなかったが、大学の特に2年生くらいまでは非常にストレスフル(今思えば)な通学を余儀なくされていた。

 また今思うと笑ってしまうが、就職が決まった暁にはガンガン仕事して、勉強して、バリバリに仕事ができるようになるつもりだったので、電車で押しつぶされている時間があったら、勉強したりプログラムを書いたりしたいという思いがあった。通勤している時間って無ではないものの、やれることは大きく制限されるし、集中できない。将来的に所帯を持つにあたっても、例えば通勤20分くらいの場所でも家なども安いし、何よりも自然豊かな地域でゆったりとした時間を持てるというのは、金銭的なメリット以上の価値があるよなと当時は思っていた。実際そのように暮らしている人も多い。

 しかし、ここのところ東京に出ることが多くなり、改めて東京という場所の豊かさを感じてしまった。別に今の場所もメーカーにありがちな、訳の分からない田舎というほどでもなく、15万人ほどの人が住む市の中心地である。買い物をするにも、いろいろな店がある。ただ、いろいろな店があるとはいえ、マス向け。何かに特化した尖った店はここではやはり生き残れない。特にランチについては、チェーン店のループを余儀なくされる。よくあるものを集めた個性の感じられない町。便利ではあるのだけどね。

 東京に出ようと思えば出られないでもない。速ければだいたい45分で新宿に到着できる。でも、ここ数日出てみると、普通に遠いし、何より仕事が定時に終了しても、新宿に7時にしか到着できないことがかなりネックだと思うようになった。そもそも、出かけようという足が遠のく。また、意外と都心部に住むのにも費用が掛からないことを知った。そう大したことのない費用に対して、得られる環境は比較にならないほどいい。やっぱり現代においても人が文化を作るわけだから、やはりリアルな繋がりが得られるところに身を置くべき。「カレーは飲み物。」がこの地で生き残れるとは思えない。

 こんなこと言って暮らしてみて、結局また人が多すぎてきついとか言い出すんだろう。結局ないものねだりだとはいえる。また、今の場所に関する感想は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな面もある。

ぷよぷよの話 1

 昨年は前半は論文、後半は仕事で消耗していたので、人間らしい活動をあんまりやってなかった。ぷよぷよは人間らしいかは不明だが、月曜日にぷよぷよクロニクル購入してから狂った猿のようにやってる。

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 狂った猿なので、連鎖なども間違えるし、凝視、つぶし、催促なんかも、ごく明らかなものにしか対応できていない。本当はフィーバーもやりたいのだけど、とにもかくにもマッチングしない。通は以前(15th, 7, 20th)よりもマッチングがよくなったようだ。システム自体はほとんど15thのころと変わってないのだからそれくらいないと成長がなさすぎるともいえるが。

 動画とかあげられる世界観になってくるといいなとは思うが、今のまま上げてもひどいことになるのは目に見えているので、オン対戦以外にも、テニスとかでいう壁打ち的なトレーニング、たとえば組み方の練習(カウンターとかができない)とかそういうこともしていきたい。

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 ハンドルネームである「かぎつみ」はこの組み方からとったはずなのだけど、公式ではかぎつみとは呼ばないらしい……

 やり始めて間もないわけだけど、シャで無をしているときに比べると、脳みそが生き生きとしているのが分かる。そして、その程度は以前よりも悪いということも…。これに限らず、活きている時間を増やしていきたいと思うところ。

私が退職する3つの理由

 1ヶ月で50記事書くつもりが放置してしまった。いつものことではある。タイトルはクソブログ文法に則ってみた。

 

 先週は退職届を出した。ずっと前から完全に計画していたこととはいえ、後戻りできなくなったなという感じはする。届を出す前に、次の職場を決めておくことが普通であることは知ってはいたが、いろいろあってこのタイミングがベストに近いと考えている。まあなんとかなるんじゃないだろうか(適当)、というかそうするしかない。

 退職にあたり、いろいろな人と話す機会があった。私と比較的近しい人に関しては「知ってた」と言わんばかりの反応だったかな。私としても特に明言はしないものの、別に隠す気もさしてなかった。自分よりも倍近く生きている人相手に、くだらない小細工が通用すると考えるよりも、ある程度察されているという前提で動いた方がいいと思ってた。そもそもボーナスの査定なども、もはや意味がないわけで、気にする必要性そのものが消失していたといえる。

 比較的えらい人と話をしたときは「どこへ行っても一緒」「これからどうにかしようと思ってた」みたいなことを言われて、正直幻滅した。全部うちと同レベルの環境だったら、もうとっくに日本は滅亡しているだろうし、どうにもならないことがわかってるから辞めるのに今更何を言うのか。ほかにも何か言っていた気がするが、空気が無意味に震えるだけだった。

 これから辞める理由、というかこの会社の新人にとって問題点だったと思われる点を列挙する。比較的儲かっている中小で、新卒採用をあまりやったことがない感じの企業に入社しちゃおうかなというタイプの人には参考になるんじゃないだろうか。少しぼかすが、いわゆるエンジニア職で未経験である。

 

1.研修がない

 なかった。それほど充実したものを期待していたわけではないが、全くなかった。先輩が一人ついて、その人にいろいろと教えてもらうというスタイルだった。別にそれはいいのだが、こういうのがある程度機能するのって、土台となる知識みたいなのがある程度備わっている前提なんじゃなかろうか。だから、これをOJTというのは少し違うと思う。つまり私の育成に関することはこの先輩が、一人かつ片手間で行うことになっていた。ちなみにこの先輩は途中で消滅したので、その時点から宙ぶらりんの程度に拍車がかかった。

 私も最初はやる気があったので、会社のドライブや書籍を漁ったり、あるいは人に聞いたりすることで、なんとか仕事に追いつこうとはした。後述するように、これらの資料などは極めて雑然と並んでいるので、非効率の極みだった。具体的に何にアサインするともいわれていなかったので、全くもって暗中模索だった。たぶん、最初の半年かけたことは、効率よくやれば1ヶ月半でできる。

 

2.計画性がない

 私の研修・育成などに関しては、ほぼ何の計画も立てられていなかった。具体的には初日の午後にはもう暇だった。というか、前述の先輩に委ねられ、その人はひたすら忙しいので、基本的には少し手を動かすと手すき、少し手を動かしてまた手すき、の繰り返しだった。

 実務においてもマネージメントが(少なくとも私の視界内では)できていなかった。というか、それをマネージメントを行う人間が存在していなかった。だから、できてなかった。こういう当たり前の問題点を、全く解決できないししようともしない人たちについていくことには甚だ疑問があった。

 

3.人に憧れない

 話が続くが、そういう猪突猛進的に仕事に取り組む人ばかりで構成されざるを得ないので、必然そういう人が残り、そういう人ばかりになる。あと技術面以外では、およそ知的とは言えない人も多く、こういう人たちと同じ集団に所属したくなかった。

 

 だらだら続けることはできるし、暇な時間が多いから、途中から組み込みとは関係がない Python のプログラム書いたりしてましたが、もうあまり長いとは言えない若い時間を、(私にとって)非効率的で楽しくない組織で過ごす意味はないと思った。本当は9月とかに辞めたかったけど、多少の躊躇があってここまで来てしまった。

 今は塵ほども仕事に対するやる気がない。お金をもらっている以上やるべきなのだけど、考えてみると、退職届を出すのって、

1.仕事・職場などに疑問(2~3ヶ月)

2.いよいよ嫌になってくる(2~3ヶ月)

3.虚無(2~3ヶ月)

4.提出

 くらいの時間差で出てくるわけで、この過程を経た人間に仕事をやらせていいのだろうかという謎はある。できることはやりますが(それがないから辞めるのだけど)。

 2020年卒の諸君はこういう企業をつかまないように、 自己分析・事前のリサーチなんかをきちんと行って、納得のいく道を選んだ方がいい。大企業がいいとは言わんが、そうじゃない企業は、実態をよくつかんでから行った方がいいだろうね。まあ、この時期から動いている人類は問題ないでしょう。まだ決めてない2019年卒の人類は一緒に頑張ろうね……。

 

 不幸にも、来年度もまた、何人か新入社員が入ってくるらしい。双方の時間の無駄なので、一生中途だけとっていてほしい。

謹賀新年、自己紹介

 皆様、あけましておめでとうございます。kagitsumiと申します。

 Twitter ばかりやっていると脳が破壊されそうな気がしてきたので、理解可能な長文を書くリハビリとしてブログをやります。知性的に(戦略的に) Twitter をできる人間もいるとのことですが、そういう使い方は私にはまだむつかしいので……。
 2006年ごろから数年間くらいぷよぷよとPCに関するブログを書いていた時期があったので、基本的な心得はあるはず(本当かな)。ぷよぷよは15周年版が出たり、カーニバル版が出たりして熱い時期だった。PCは自分が欲しかったので継続的にウォッチしてた……が、購入した瞬間熱が冷めてしまった。中学生くらいでお金がなかったからしょうがないね。大学受験あたりで更新が途絶え、大学に入ってから削除した。500記事くらいあったと思われるので、もったいないなと感じる部分もあるが、今思えば誰でも書ける記事ばかりだったなと感じる。特にPC部分は。なお黒歴史な部分も多いのでタイトルなどは公表しない。
 
 以下羅列的に自己紹介。
 平成3年(1991年)生まれ。東京都小平市出身。2留して数学修士。現在は働いているが、3/31までには退職する予定。働き始めてわずかな期間ではあるが、それに値する程度の理由はあると考えている。記事にするかは不明。まだ労働に絶望しているわけではないので、転職先を模索中。
 中学受験の時から算数しかできなかったので、中高・大学に入ってもそればかりやっている感じであった。劣等生にありがちな、数学が苦手な優等生に負ける程度の実力だった。「ロストワンの号哭」に完全共鳴する程度には国語がどうもダメで嫌いでした。数学科では、代数を主にやってました。特に「環」「体」について研究していました。しょぼい結果しか出てこなかったので、意地を張っていたら修論の提出が間に合いませんでした。来世は整数論とかやりたい。
 父が亡くなってから転居を繰り返しており、東京都小平市西東京市府中市、多摩市、世田谷区、神奈川県川崎市相模原市に住んでいたことがある。引っ越しだけで百万くらいかかってそう。この中は府中市と多摩市が住みよかった(ただしその周辺で仕事を得られる場合)。
 ここに何を書くかについてですが、しばらく触れてなかったぷよぷよが最近すごく熱い気がしているのでそれについて書く。あと数学の面白い問題とか、それから技術関係。要するに思ったことでまとめておきたいことは何でも書いていく。あとしょうもないことを書いて「いかがでしたか?」とか言わない。本質情報だけ載せていきたい。


 本年もどうぞよろしくお願いします。

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